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2023-12

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サイボーグになりたい

本日はyasの投稿記事です。


 先月最終回を迎えたアニメ「輪(まわ)るピングドラム」が面白いです。
作品の内容についてここでは実験的要素が大きいこと、
作画と音楽が素晴らしいことにだけ言及しておきます。
70年代から80年代、90年代までの世相や事件を織り込みながら時代はまさに現代。
すべての時代を経験している者にしか分かりえぬところもあり、
果たして90年代に生まれた主人公世代にこれが伝わるんだろうかとも思います。

 作中にイリュージョンのような形で挿入される「生存戦略!」というパートがあり、
プリンセス オブ ザ クリスタルという異種生命体?が冒頭に高飛車な調子で宣告する
「きっと何者にもなれないお前たちに告げる!」という台詞が毎回心に刺さります。
主人公世代の高校生なら笑って聞いていられるこの台詞も、
だんだん歳を取るにつれ「もしかしたら何者にもなれないかもしれない」になり、
ついには「やっぱり何者にもなれなかった」になります。
このことに気付いた瞬間感じる寂寥感といったらありません。

 三月の末日に南三陸町の歌津に行ってきました。
父親の古い知人が住んでおりもう何十年も折に触れ海の幸を送ってくれます。
航空写真で高台の家が無事であることは確認できていたのですが、
震災ですべての通信手段が途絶し、思い余った父親は手紙を書き出しました。
一笑に付すというわけにもいきません。
実際に訪ねるのは初めてでしたが家は簡単に探し当てられました。
迷うような市街地そのものがありませんでしたから。
途中の中田町石森地区は石ノ森章太郎先生の生地で記念館もあるのですが、
残念ながら震災の被害を受け休館中でした。

 南三陸の瓦礫の山を見ながら「なれるものならサイボーグになりたい」と思いました。
あの情景を前に生身の人間一人ではあまりに無力です。
しかしながらたとえサイボーグになれたとしてもたった一人ではいまだ無力に等しい。
たとえサイボーグになっても人間は協力し助け合わなければならない。
それが人間個々人の能力適性に差があることの意味であり石ノ森先生からのメッセージであります。

舟唄とサウダージ

本日はyasの投稿記事です。


 音楽に限らずブラジルの文化を理解するで上で
重要な概念「サウダージ」について質問されることがあります。
多分に情緒的でなかなかに説明しづらいのですが、
「秋の日のヴィオロンのひたぶるにうらかなし」のかなしではないかと思っています。
それでもまだよくわかりませんが。

 ブラジルの文化的基幹国といえるポルトガルにも同じように
「サウダーデ」という良く似た概念があります。厳密にいうと違いは発音だけではないようです。
これはよく「船乗りを港で待つ女の気持ち」と説明とされます。
でもこれって日本の演歌の主題によく似たものがありますね。ご存知八代亜紀の名曲舟唄です。
実際彼女はポルトガルの人気歌手Misiaと共演しています。
もちろんこのMisiaは日本のポップシンガーではなくポルトガルの民謡ファドの歌い手です。
このようにポルトガルの「サウダーデ」は日本人にも比較的理解しやすい概念と思います。

 一方で「サウダージ」ですがこれはブラジルに渡ったポルトガル人が持ち込んだ「サウダーデ」に、
さらにアフリカから連れて来られた黒人の望郷の念、怨嗟の気持ちが加味されたものと
個人的には理解しています。
音楽的に解析するとポルトガルの哀愁を帯びた旋律に
アフリカの情熱的なリズムが合わさって出来上がったものがブラジル音楽であると。
一般に陽気でにぎやかなリズムに乗って演奏されますが旋律そのものは物悲しいですね。
陽気で楽天的なブラジル人も良く良く聞いてみると
それぞれがよんどころのない事情を抱えて生活している。
そんなふうに思えてきませんか?

 故国を離れたブラジル人達が日本で生活し始めてすでに20年以上が経ちます。
再び海を渡った「サウダーデ」が今度は日本でたとえば演歌と出会い、
まったく違った概念に生まれ変わるかもしれません。あるいはそれはもう始まっているのかも?
「フナウダージ」とか?

プラハでパイク

本日はyasの投稿記事です。


 国の内外を問わずどこに出かける時にも、
少しでも時間が取れそうなら釣りの道具を持っていくことにしています。
結局たいていは竿を出すことさえできないことが多いのですが、
たまには少ないチャンスをものにしてということもあります。
中でも一番の釣果としては、チェコの首都プラハを流れるモルダウ川(モルダヴァ川)で
パイク(カワカマス)を釣ったことがあります。
散歩がてら川岸を歩きながら係留されている船の脇のカケアガリを
ソフトルアーで狙ってわずか数投、
思いがけない幸運はひどくあっけなく訪れました。

 パイクはドイツ語でHecht、スペイン語とポルトガル語ではlucioといいます。
これだけいろいろな呼び名を知っているということは、
それだけいろいろなところで挑んできたということです。
残念ながら日本には生息していません。チェコ語ではštikaというようですね。
念願かなってようやく出会うことができました。
体長40cmほど、1m以上にも成長するパイクとしてはほんの子供ですが、
そこは川のギャングとも呼ばれる魚。
針を外す時に鋭い歯で指を切りました。

パイク(カワカマス)

 季節はちょうどクリスマスの前の頃でプラハの街中ではヤドリギが売られていました。
ヤドリギは生命再生の象徴であるらしく縁起物として家の内外 に飾り付けます。
意気揚々と引き上げる道中の露店で一つだけ金色に塗られたものを見つけて買いました。
フレイザーの金枝篇の金枝とは金色のヤドリギのことで
それを手にしたものは世界の王になれるといいます。
ソースはエウレカセブンですけど。

ヤドリギ

 プラハでは禅道場の居候をしていたのですが、
ヤドリギを手に持って引き上げてくると
建築の勉強をしているというとても背の高いドイツ人の女の子に会いました。
「ほら金色のミステル(ヤドリギ)。ヘヒトも釣ったしこれで私は世界の王」と彼女に話しかけました。
実は彼女がさっきまで他のチェコ人と自分の祖母が
危篤状態でという話をしていたのを私は知っていました。
何も知らないふりをしてあえて陽気に振舞ってみたのです。
たとえ世界の王だとしても死の運命からは逃れられないのですから。

魚好きのポルトガル人

先週から始まったYasさんのブログ記事です。


ポルトガル人は魚が大好きです。
特に海辺の人たちは日本人と同じくらい魚好きといえるかもしれません。
写真は北部の港町ナザレの魚市場で見けた魚ですが、その多くが日本でもおなじみの魚です。
魚の食べ方も日本とよく似ていて、お昼時に路地を歩くと家の前で七輪(のようなもの)を出して
魚を焼いている光景によく出会います。
大家族だったりお昼は家に帰ってという人も多いので七輪の上の魚の数はたいていちょっと多目です。

マトウダイ

ポルトガルの名物料理にバカリャウ(タラ)の干物を使ったものがあります。
少々塩味が強いですが素材自体は日本の塩鱈とほぼ同じです。
暖かいポ ルトガルの海で鱈?と思いますが漁獲地は北欧のようで、
スペインや南ヨーロッパだけでなく中南米でも一般的な食材です。
テニスラケットのように大きな干物を熱帯の市場でもよく見かけます。

そういえばブラジルでカラスミを見つけて驚いたことがあります。
てっきり日系人が持ち込んだものだと思っていましたがポルトガルでも見かけました。
カラと名前につくように どうやら江戸時代に中国経由で日本に持ち込まれたようです。
むしろポルトガルのほうが本家だったのですね。
ポルトガル語ではButargaといいます。もともとの起源はエジプトあたりにあるようです。
見渡せばもうどれが日本のものか分からないですね。
またそういったものをご紹介したいと思います。

日本語とポルトガル語の違い

Yasさんは、先日日本語教室のブログでもご紹介したお坊さん先生のことです。
今回はYasさんのブログをお届けいたします!


日本語とポルトガル語はまったく違う言葉です。
そんなこと当たり前だと思うでしょうけれども、およそ外国語というものをきちんと勉強したことのないブラジル人にはそんな当たり前のことも結構不思議だったりするようです。
実際にブラジル人に日本語を教えてみるとびっくりするような事象に 出会うことがあります。

たとえばこんなことがありました。
「買うつもりだ」ということを表現するのに「行く買う」でいいのかと聞かれたのです。
ポルトガル語では「~す るつもりだ」という意志を表現するのに「行く」という 動詞を使うことが多いのです。もちろん未来形というものも存在するのですが特に会話では「行く」+動詞という形を使うことが普通です。なので日本語でも同じように「行く」といってから目的の動詞を続けていえば未来の意志を表すと思ったらしいのです。

日本人から見ればまったくナンセンスな日本語ですがそう簡単に笑い飛ばすこともできません。
たいていの日本人は中学の授業で初めて英語を本格的に学習することになります。
その時に日本語とまったく違う英語の文法に触れ「外国語というのはそういうものだ」と理解したはずです。
ブラジルの学 校での英語教育というものについての知識がないのであまり確定的なことはいえませんが、実際にブラジル人の英語力を見るにつけ、どうやらあまりう まくいっていないらしいことは分かります。
ポルトガル語が日本語よりもはるかに英語に近く共通の語彙が多いことを考えれば日本以上にでしょう。

日本語とポルトガル語はまったく違う言葉。
それは当たり前として日本人とブラジルもまたまったく違うということも同じように理解できているでしょうか?日本式の「文法」をブラジル人に押し付けてはいないでしょうか?「行く買う」式の日本語を笑う前に考えてみなければなりません。
会社や 学校で笑えないような日本式の「文法」に頭をかかえるブラジル人の姿ってけっこうよく見かけます。
特に大人はちゃんと説明聞かないと納得できない こと多いですよね。ブラジル人に限らずとも。


Yas

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